
7/15(木)くらいから、30℃近い暑さが続いています。早朝、畑の草刈りに行こうとしていましたが、あまりに暑いので、今日は外作業せずに、休日を家でゆっくり過ごすことにしました。朝食の後、前庭に植わっているスモークツリー(ピンクパール)の枝を切って、透明なガラス製の花瓶に生けたところ、見た目だけでも涼しくなりました。入手可能な方には、雰囲気だけでも、暑さしのぎにおすすめです。
さて、今朝の北海道新聞に余市町でシードル造りを目指していらっしゃる方の紹介がありました。フランスではシードレ?シードル、北米ではハードサイダーと呼び名が異なるくらいしか、私には知識がありません。聞くところによると、リンゴにも生食用と醸造用があり、作りたいシードルに合わせて、それ用に適した品種を選ぶとのことです。しかし、日本には醸造用リンゴというのは、ほとんど流通しておらず当然ながら苗木も入手困難。これが、果実酒の醸造後進国、日本の現状です。
そんな果実酒醸造アウェイな国内事情ですが、生産者自らが理想の品種を求めて、農研機構や種子バンク、海外の種苗生産機関から種木や穂木を取り寄せ、育苗しながら果実の生産をスタートしなければならない中、いずれはその努力が実を結んで欲しいと願うばかりです。ワイン用ブドウも同様、国内調達できるものは、品種やクローン選択に限りがあり、理想を追い求めだすと現在国内流通している品種ラインナップでは、物足りなくなってくるのです。すなわち、寒冷地に特化してそのギャップを埋めることが、私(弊社PSV事業)の仕事になります。
明治初頭のように、殖産興業として国が力を入れて各種農産物の海外品種を導入していた頃とは異なり、現代は病害虫の侵入を防ぐために植物防疫上の観点から、輸出国における病害虫の検査項目は年々増える一方であり、輸入後は隔離栽培にてより精密な検疫が待ち構えるなどハードルが上がっています。戦後、世界各国で品種改良が進むも、日本国内に輸入された果実品種は、実に少ないように思われます。日本の寒さや湿度にヨーロッパの品種が合わず、断念した過去もあり、国内の果樹産業は、独自の進化を辿ったことも事実でしょう。世界が認めた日本のリンゴ、Fujiは第二次世界大戦を挟んで、作出された奇跡の品種と言えます。戦争とその後の復興で、育種どころではなかったという国内情勢下にありながらも、この世に産まれ落ちた。そしてその後の高い普及率、成功を見れば今後のヒントが見えてきます。輸入にはそれなりの交渉が伴い、多方面との調整が必要だから情熱を持ってやる必要がある。育種も技術と知識が求められる。いずれも忍耐、時間とお金がかかるもので、性急にコトは運んでいかない。せっかちなタイプの日本人には向かない仕事なのかもしれない。それでも、やりたいと思える人にチャンスは巡ってくるのかもしれません。
今後、果実酒醸造後進国ニッポンを振興していくのは、進取の精神で知的好奇心溢れる農業人たちに、かかっているのかもしれませんね。現状を嘆いたり批判論評していても仕方ないので、どうしてそうなったのかを考えてみる。食文化がたまたま果実酒と合わなかったからかもしれないし、気候のことが理由かもしれない。国内生産に力を入れるより、海外から果実や果実酒を輸入した方が、手っ取り早かったのかもしれない。酒より果物そのものが食べたかったのかもしれない。しかし、戦後西洋化した衣食住の文化生活の中で産まれ育ってきた世代は、今までとは違った価値観を持ち、新しい風を吹かせ始めている。
私も微力ながら、寒冷地に特化した醸造用ブドウ品種の育苗及びその普及を目指しており、まずは種苗業者として近い将来世の中のお役に立てるよう、現在取り組んでいるところでございます。本来なら公的機関がすべきことなのかもしれない。私財(会社の経費)を投じてまで、まるで何かに突き動かされているかの如く、その必要性を強く感じたので推し進めています。将来的には、有望品種を病害虫に侵されていない良質な状態で提供できる、命名するとしたら「Clean Plant Foundation Hokkaido」的な存在の基盤体制の確立も必要と思われます。
育苗管理については、すでに実績がありますし弊社というか私の得意とする分野ですが、せっかく良いものを導入する以上、やはり最初は外部委託でもよいから、組織培養、ウィルス検定機能を備え、キチンと商業利用できる状態で、健全な種苗の維持管理・生産販売を行う機関をイメージします。いろいろと思考は広がっていくのですが、そうはいってもまずは、小品目数の取り扱いから始め、事業的に自社が持続可能な範囲で有望品種を生産販売(供給)できる体制を作り上げていかなれば、単なる絵に描いた餅だの、夢物語で終わってしまいますので、地道に進めさせていただきます。