ボケ(木瓜)の実

ボケの実
ボケの実

 10年ほど前、自宅の工事で移植することになったボケの樹。春先には赤い可憐な花を咲かせるバラ科バラ族に分類される花木で、スコップで掘り上げると株がバラバラになったのを思いだす。

移植先は、会社事務所敷地の端っこで、とりあえず看板の近くに植えてみるかという、ぞんざいな扱い。地面は砕石混じりの硬い地盤で、ツルハシでないとほじくれない硬さ。まったくもって、樹木を植えるような場所ではありません。

ただし、朝から夕方までたっぷり日が当たる。枯れる確率9割だろうくらいに思っておりましたが、ところがどっこい驚異的な生命力で根付いたのです。当然肥料も水もなんにも与えず、厳しい環境下で生き延びていたのであった。

落下したボケの実
青ピーマンか小ぶりな洋ナシくらいにしか見えない落下したボケの実

 かれこれ10年経って、その樹が実をつけるということに初めて気が付いたのは、今日の午前中のこと。ボケの樹のすぐ下に、転がっている得体のしれない実を発見したときは、歩道のすぐ脇だし誰かが出来損ないのピーマンを投げ捨てたのか?なんという不届き千万な奴がいるものだ!とか、そんなワケはないでしょうとか、カラスがくわえ損ねて落としていったのか?などと、いずれも何者か第三者の仕業を疑った。

まさかと思って、ボケの樹を見ると枝にピンポン玉くらいの大きさでデコボコしたいびつな形の実が成っているではないか。(一番上の写真)よくもまぁ、こんな荒涼とした場所で、実まで着けるとは・・・。しばしのあいだ、その生命力の強さゆえに感動し恐れ入ったあまり、樹の前で呆然と立ちつくしてしまったのである。

 どうせこんなもの食べられないだとうと、またもや高をくくっていると、いやいやなんの、なんと食べられるそうではないか。再び恐れ入った。

ボケの実断面
ボケの実断面

 食べられるといっても、そのままでは硬くて渋く酸っぱいので、砂糖(シロップ)漬けにしたり果実酒に加工するのがよいそうである。果樹が面白いのは、予期せぬ喜びを与えてくれるサプライズなところにあるのかもしれない。ダメで元々精神で、植えてみて「予想通りダメでしたわ」ということが多いのだけれど、あまり期待せずにほったらかしにしておいたところで、意外と育ったり実がなったりする。「たまたま条件が合った」というただそれだけのことかもしれないけれど。

 気候変動時代ではあるが、春に花咲き、秋みのる。ややこしいことは水に流すか抜きにして、人生もこうシンプルにいきたいものである。優れた観察眼や的確な判断力を身に着けたいと思ったり、他人に求めたりするけれど、時にはなんとなく(仕方ねぇなぁと)うまくやることも必要で、少し前に流行った「鈍感力」も役立つか?多少のボケも許される、そんな寛容な世の中であっても良いかもしれない。これは木瓜(ボケ)の実が届けたかったメッセージなのだろうか?そう思うのは、いささか考え過ぎだろう・・・と自分にツッコミを入れる。

施設園芸と化成肥料、切っても切れない関係

肥料欠乏症の葉(ぶどう)
肥料欠乏症の葉(ぶどう)

 ハウス内で苗を生産するイチゴは、露地育苗での課題であった土壌由来の病害虫被害低減のため培土(培養土)や自然由来の培地資材を使用し、それらは前年更新する栽培方法をとっている。一方、ブドウの育苗研究ハウスでは穂木を採るための母株栽培床をレイズドベット(木枠を組んで、そこへ清潔な培養土を盛る)方式とし、独自の栽培方法樹立を目指し模索しているところである。

 もともと工場を解体した更地という地面に土が全くない場所で、温室を建てて何かを栽培する場合はポット植えか新たに土を投入する(客土)しかない。基礎コンクリートをそのまま40mm程度の粗さで破砕して鉄筋等は取り除き、整地した上にハウスを建設したのであるが、条件をメリットにとらえ試行錯誤の最中といってもよい。砂利と破砕コンクリの地面は、いわゆる土壌由来の好まざる微生物や菌類とは無縁のはずなので、ハウス内はある意味クリーンな状態で雑草も生えさせなければ草むらに潜む害虫というわれる類から栽培作物を低農薬(露地育苗に比べて)で育てることができる。近隣には農地が無いので、他の作物から病気感染リスクも極めて低い。また鹿など害獣に食害される心配もない。(アライグマが出没したことは過去にあったが、今のところ特にこれといった被害はない)。

 ただし、例外的に今年は8月以降の降雨が多く多湿な条件となったため、多少のボトリチス菌による灰カビ病とみられる症状が見られた(ピノ・ノワールなどの遺伝子をもつ灰カビに罹患する傾向がみられる品種)。これについては、殺菌剤の散布とハウス内換気を適切に行うことで抑えることができている。

 さて、ここからはハウス育苗における連作障害について述べることとする。昨年、ブドウの苗木を栽培した同一の栽培床で同様の挿し木育苗を開始した。掘り上げた苗木の残根や落葉のすき込みなど、有機物が土壌中に多く残る培地へ植え付けの2ヶ月ほど前から有機質肥料の投入を開始し、発酵(分解)と切り返し、太陽光の紫外線を利用した土壌殺菌を試みた。牛糞、鶏糞、菜種油かす、石灰などを混和させ、水をかけて熟成させるというものである。今年は、化成肥料が値上がり、入手しずらい状況が春先に発生したため、国内で容易に入手することができるそれら有機肥料をメインに肥培管理を行う方法を試したかった。むろん、緩効性肥料の投入も行わない極端な作戦である。


 6月の植え付けから1ヶ月ほどは、なんなく成長を続けていたが昨年比で7月以降生育スピードが格段に遅れ、新梢の伸びが著しく低下した。液肥を施用し葉色は改善したものの、今度は肥料不足と思われる生理障害が発生。昨年は、8月~10月まで摘心・整枝剪定した枝葉の量が思ったより多く、肥料分をもっと少なくしても良いはずだという仮説を立てたのだが、如何せん元肥の量が少なすぎたのかもしれない。

 苦土(マグネシウム)欠乏症は、虎の模様を呈するトラ葉を発してしまう。下の写真がその様子である。

トラ葉
いわゆるトラ葉のような模様を呈した

 そこで、即効性のある液肥を寒中したことろ症状は治まる気配を感じた。窒素・リン酸・カリの他カルシウム成分を含むものであったが、1ヶ月以上経過した8月下旬、イマイチ葉の縮れや小葉化が続いていたので、マグネシウムなど微量要素を含む水に溶かして使用する別の銘柄も追肥。液肥は即効性はあるが肥効期間が2週間ほどと推定されるが、ハウス内は10月下旬まで約2ヶ月は生育が続き、以降登熟期間へと入る。肥料欠乏気味の状態でこのままいけば、株や樹体内養分が十分に蓄えられず、来年の生育に支障が出るため、まだしばらくは栄養を切らすことができない。そこで、ブドウ園などへの施肥登録がある粒状の緩効性肥料を1株あたり6g与えることとした。一株の苗木は1ヶ月あたり窒素1gを含むものを1回与えれば十分という情報を参考に、秋口までの栄養として(過去数か月分の不足分を加味)、潅水チューブ下の株元散布・土壌混和を実施したのが9月の上旬。


 1週間~2週間するとその効果の表れが顕著となり、葉は青々と色濃く新葉の展開・新梢の伸びがすこぶる良くなってきた。この改善効果から言えることは、苦土欠乏というよりむしろ窒素が吸収できていなかったのではないかということである。北海道立総合研究機構(道総研)のWebサイトを参照(窒素欠乏)させていただくと、「症状の特徴」や「発生しやすい条件」等の内容が当圃場の事例と見事合致していたのである。つまりそれは、新葉の小葉化や黄化現象が見られたこと、未熟な有機物(当圃場の場合は、切断された根や葉の残渣)が多量に施用された際に起こる、土壌中微生物の急激な増加がもたらす作物と微生物間の窒素奪い合いが、ブドウ樹の窒素欠乏を引き起こしたのではないかと結論づけ、理解したからである。

下部の葉は、葉緑素が抜けたままであるが、上部は伸長にともない改善された。

 以上からして、過剰な化成肥料を施すことは避けたいけれどハウス内育苗という施設園芸においては、すべて有機肥料でまかなうことは現時点で無謀というか現実的でないように考えを改めてたのである。当社では、イチゴ苗については年間数十キロ、ブドウ苗木に関しては大雑把に見積もっても2~3kgを年間使用量とするため、すごいたくさんの化学肥料を消費しているとは思えない。もちろん過剰施肥による無駄や土壌汚染は避けるべきであり、適切な施肥設計は重要なのは承知している。
 

 露地のブドウ畑では、ここまで肥料成分に神経質にならなくても、樹は育っていましたが、ハウス内における幼苗木の管理となると何かと手間はかかりますものの、引き続き育苗管理に励みたいと思います。将来的にも、当面は少量良苗生産体制となるかとは思いますが、有望かつ健全な苗木の生産体制を構築すべく、日々健闘しております。

イチゴ苗、怒涛の水やり

イチゴ苗の水やり
イチゴ苗の水やり

 9月上旬から、恒例の子苗栽培床への水やりが始まった。6月上旬の植え付け、7月~8月の花房摘除などの管理作業の次に労力をひたすら必要とする大事な工程である。9月は、とにかくこれでもかというほどたくさんの水を掛けて掛けまくるのです。散水チューブも併用しながら、培地に水がしみわたるまで長いホースを引き回し、ハウスの中を行ったり来たりする。ハウス1棟だけなので、オートメーション化する必要もない。手動での潅水作業は、ある意味良い運動であり、何しろ2時間近くホースをもって延々と通路を歩くので、適度に腕と足腰の筋肉が鍛えられる。わざわざ金を払ってスポーツジムなどに行かずとも、労働しながら体力維持といった健康増進効果も得られる素敵な仕事なのだ。緑の葉っぱを眺めながら、ときおり花を取り損ねた株からイチゴの実がなってしまうのだが、それをつまんで食べたりしながら散水している。むろん対人ストレスなどは皆無で、精神衛生上もすこぶる良い。

 今年は、年初から肥料の高騰・在庫不足が社会現象となっている。ウクライナ情勢や中国が自国の人口増加と近代化に伴い食料や肥料などの輸出国から輸入国に転じたことで、日本に入ってきていた肥料原料などの調達が滞り始めた。

 日本政府は、緑の改革と名打って2050年までに化学肥料や化学農薬の使用を減らすよう政策を打ち出した。しかし、それよりも前にフードロスをなんとかしなくてはならないのではないか?コロナウィルスの爆発的な感染で、営業自粛を強いられた飲食業界における廃棄ロスは一時的に減ったかもしれないが、スーパー・コンビニなどの小売流通・生産農家側での肉、野菜、米、牛乳、加工食品などの廃棄ロスは計り知れない。SDGsで子どもの貧困を無くそうというのは大事だけれど、必要としている人たちに食料やお金が回っていかない今のこの歪んだ社会構造を正すことから始めなくてはならない。農林水産業は多かれ少なかれ地球環境に影響を及ぼしながら行われている産業のひとつ。無理なく無駄なく食料を届け、消費側も過不足なく食べきらなくてはならない。捨てるくらいなら、はじめから過剰に作るなということだし、余ったところから足りないところへ供給するなど(国内国外問わず)、不均衡を均すことから始めるべきではなかろうか。

 まもなく安部元総理大臣の国葬が執り行われ巨額の税金が使われる。昨年延期開催された東京オリンピックに関する贈収賄事件。相変わらずの政治的アピールや利権がらみの社会構造で、私利私欲の暴走がとまらない。お金はある所にはたくさんあり、ないところにはまったくない。世界は物価高・インフレで金融緩和政策に見切りをつけ金利上昇に舵を切る一方で、我が国の日銀は相変わらずのマイナス金利(超低金利)といった緩和政策を続け、景気の後退につながるから金利は上げませんとの一点張り。お陰で円安・ドル高が進行して留まる気配がない。輸出企業にとっては好都合かもしれないが、基本的に日本は輸入国だと思っているから(資材から工業製品・食料品に至るまで)、総合的にみて損または良くて損益トントンなのではないか?内需が拡大していた戦後から1960年代くらいまでは、国内向けの政策で良いかもしれないが、今のようなグローバル経済下において長引く日銀の金融緩和政策に私は反対である。円安ドル高で利益を上げている企業経済界の圧力でもあるのではないかと、そんな陰謀じみた疑いをもってしまうほど、日銀と政府の及び腰が腹立たしい。

ただ、こう言えるのには訳があって、ここ数年は金融機関からの借入が減り、多少なりともドル建てで決済する取引先(支払先)ができた社内事情もある。けれども仮に金利が上昇に転じたとしても、企業の運転資金や住宅などの個人ローンは、信用保証料や金利負担を助成するなどして援護できるはずだし、金利が上がれば、預金残高に利息がついてその安心感から消費が上向きになるかもしれない。金融機関も貸付金の金利収入が再び増えることで、顧客へ無駄にクレジットカード契約を頼んで手数料を取ったり、iDeCoや積立NISAを執拗に勧めて手数料収入を少しでも得ようと営業に躍起にならなくて済む。私が子供だったころ、正月にもらったお年玉を預けていた郵便貯金の通帳を見て、毎年利息で増えた預金残高に心躍ったものである。まぁ、こういった考え方も時代遅れなのかもしれないけれど。島国で持続可能な暮らしを細々とそれなりに幸せな暮らしを送ってゆくか、イノベーションが生まれる教育環境や社会風土にして世界に打って出る先進技術大国として再び成長国家となるか。いずれもバランスが必要なのは言うまでもないけれど。

 おっと、そろそろ肥料を溶かした給水タンクの液量がなくなるころなので、今日はこの辺で散水しながら悶々と思っていたことを吐き出すのをやめにしよう。文句ばかり言ったり、自身の不遇を人や組織のせいにしてても何も始まらない。自分の力が及ばないことへの固執は、労力と時間の無駄である(諦めも肝心)。石の上にも三年、これだと思ったものに情熱を燃やし(なければ見つける努力をし)、たとへ地味な仕事であっても、焦らず腐らずこつこつと努力を続け自分の役割と仕事に専念して今を生き、明日を切り開ていくことが大切である。